タケナガリキのブログ

パーマとカットが大好きな美容師。原宿tetecoquetteタケナガリキのブログ

タケナガリキの自己紹介

似合わせパーマとほつれウェーブ。手ぐしの通る柔らかパーマが得意な美容師タケナガリキの自己紹介です。

 

骨格診断やパーソナルカラー診断にをふまえて、ライフスタイルと人格に似合う髪型を作るの美容師です。

カットだけでは叶えられない似合わせを+パーマで叶えるに合わせパーマや、触りたくなる手ぐしの通るウェーブスタイルが得意!

 

お客様には「いつもより扱いやすかった」「言われた通りにやったらすごく上手くいった」「本当に持ちがいい」「朝の時間がかからなくて助かる!」「どこで切ってるの?と友達に言われた」「一度他に行ったけどやっぱり全然違う」
と言って頂いています。

 

香川県高松市に生まれ、すぐ愛媛県へ引っ越し。
幼稚園の入学式初日に隣の女の子を泣かしてしまう程やんちゃ坊主でした。

(写真は仮面ライダーアマゾンのポーズ笑)

 

とにかく頑固で正義感が強く生意気、思ったことはすぐ言っちゃう。

そのせいでよく上級生と喧嘩していたようです。

 

思い立ったら即行動。

というかそれをやらないと他のことが手につかない。

でも一度集中しちゃうとずーっとそればっかり。

 

 今でも二つのことを同時にするのは苦手です(笑)

 

何かを作ることが大好きで、一度スイッチが入ると食べるのも寝るのもトイレにも行かず夜通し熱中。(トイレは集中すると3時間位我慢できるもんです笑)

 

かまぼこ板を彫刻刀で船の形に掘って、モーターを付けて動く船の模型をつっくったり、ミニ四駆を改造してヘリコプターを作って飛ばしたりしていました。

 

友達も多く、クラスの中心存在で友人関係も良好な小学生時代を過ごします。

 

小学校2、3年生のときにはONE PIECE、H×H(ハンターハンター)の連載がスタート。この頃から将来は漫画家になりたいと漠然と思うようになります。

 

H×Hが好きすぎて、友人と一緒にお小遣いで買える関連グッズを買いまくっていたんですが、買って来てからみてみるとその中にBL(ボーイズラブ)本が…

 

ヒソカゴンと試験管ごっこしていました。(笑)

 

これはなんなんだろう…

 

と思いながらしっかり読ませて頂きました。

 

小学生にして世の中の広さを思い知ることになります。(笑)

      

 

運動も大好きで、水泳、走り高跳びラグビー、色んな事をやりました。
水泳では県で7位に、走り高跳びでは市で3位になったり、結構運動はできた方かもしれません。

 

そんなこんなで中学に上がるタイミングで東京へ引っ越し。

不安はありませんでしたが、実際引っ越してくるとものすごくギャップがありました。

 

東京の子ってめっちゃマセてる(笑)

 

その当時全く人見知りしなかった僕は入学して最初の自己紹介で喋りすぎて、一番後ろの席の悪そうなやつから

 

「お前話ナゲーんだよ」

 

と言われ、田舎で友達たちとジャングル海賊団という謎のチームを結成して、山に秘密基地をつくって駆け回っていたまだまだお子ちゃま田舎っぺな僕は、髪とか染めちゃったりしてなんか大人びて垢抜けた感じの彼に完全にビビりました。

 

これが東京か…めっちゃ標準語やん。

(その彼とは今でもたまに連絡を取るほど仲良しです。)

 

中野ブロードウェイが近かったこともあって、ますます二次元にハマっていきます。
ラグビー部に入って運動も続けながら、深夜アニメを見たり漫画を描いて夜更かしする毎日。(夜更かししていなければ身長175㎝はあったはず…)


あの頃は元気だった。笑

 

ラグビー部時代。トロフィーを持っているのがぼく。何気にキャプテン)


絵を勉強したくて芸術高校に入学するつもりでいましたが、2次元にハマりすぎて絶賛厨二病。現実の女子が恐かった当時の僕は、クラスに男子が1人か2人しか居ないという情報を得て、生きていける気がせず断念。

大人しく普通科高校に入学する事にしました。


女子が多いからという理由であんなに行きたかった芸術高校を諦めた僕は、このままではだめだ!と高校デビューを目論む訳です。

 

友人に連れられてやっと自分で服を買うようになり、全く興味の無かったファッションに興味を持ち始めます。

 

火がついた僕はとにかくファッション誌を読み漁り、気がつけば自分が仲間内では一番詳しくなっていました。(当時はよく雑誌のスナップにも載っていたんですよー!)その頃から髪型が大切だという事に気づき始めました。


ただ、その当時の僕は話すのがとても苦手で、自分とは正反対にいるキラキラした美容室、美容師が眩しすぎてすっごく嫌い。

 

髪は整えたいけど美容室に行きたくないという困った状態でした。

 

そのくせこだわりは強く、いつも美容師さんを困らせていました。

(いつも3回くらいやり直してもらっていました。本当にすみませんでした。あの時の美容師さん優しかったなー)

 

そんな時期が暫く続いて、僕みたいな人も緊張しないで来れる美容室を作りたいと思って美容師を目指す事になります。

 

そんな僕も青山の老舗美容室に無事入社。
ところが、入社して間も無く接客が物凄く苦手な事にきづきます。


喋らなきゃいけない…


慣れてくれば慣れてくるほど自分が嫌いだった美容師に近づいている気がして、一度美容師をやめる事になります。

そして接客業ではなく、元々好きだった漫画関連や美術関連の仕事につく為に美大に入り直すつもりでいました。


ところが、その後働いたバイト先で、困っているお客さんに対してみんな何もしてあげない…

もちろん、わざとそうしている訳ではないと思います。

美容師を少しでもやった経験から、呼びたそうな人に気付いたり、困ってそうな表情を見つけたりするのが他のみんなよりは得意だったのかもしれません。

でも、何でああしてあげないんだろう、何でこうしてあげないんだろうという思いが大きくなって、自分は話すのは得意じゃなくても、喜んでもらう事、接客は好きだったんだと気付き、再び美容師をやるという選択肢が自分の中で大きくなりました。

 

ただ、美容師を辞めるときには美大に入り直そうと決意していた事もあって、自分の中のモヤモヤが日に日に大きくなっていったんです。

 

話は少し飛びますが、小学生の頃から漫画にハマっていた僕でしたが、歳を重ねるにつれて本も結構読むようになり、これまた寝る時間を削って沢山読み漁ったんですが、「19歳 一家四人惨殺犯の告白」 というノンフィクション(誰も救われなくて本当に後味が悪いですが、興味のある人は是非。良作だと思います。)を読んだときに、殺人犯の少年が「花村萬月」さんの小説をオススメしていたんです。

 

少年の思考回路に興味が湧いて僕も読んでみることにしたんですが、当時同じ19歳だった僕はどハマり。

それからほとんどの作品を読みましたが、よくバイクで旅するんですよね。

 

元々結構一人が好きだったり、自由に行動するのが好きだったので、バイクにテントと寝袋を積んで一人で旅をすることに漠然と憧れていたんです。

テントと寝袋だけで目的地も決めずただ毎日過ごす。

同じところに2泊したって良いし、夜通し走って遠くに行っても良い。

なんかそういうのって憧れませんか?笑

 

丁度美容師をもう一度やるかどうか悩んでいた僕は、自分探しの旅と称して旅に出ちゃうことにしました。

 

約1ヶ月間一人で北海道を放浪していたんですが、そこでやはり美容師をもう一度やることを決意します。

 

東京に帰ってきてtete coquetteのオープンに滑り込みます。


面接では給料を払う余裕が無いと言われましたが、火がついちゃってるので後先考えず「給料が理由なら無償で働きます。」と無理やり入れてもらいました。


結局無給だったのはたった3ヶ月程度で、借金を抱えながら給料を払ってくれた今のオーナーお2人には心から感謝しています。

それから8年本当にあっという間でしたが、お店の教育を担当するようになったり、店長を任せてもらったり、沢山勉強させて頂きました。

近年はteteを代表してパーマイノベーティブプロジェクトへ参加させてもらい、日本のパーマを盛り上げようという目的のもと、来年は全国で美容師さん向けのセミナー活動もやっていく予定です。

今後はtete coquetteに拠点を置きながら、フリーランス美容師として、講師活動やスタイリング剤の開発にも力を入れて行きます。

フリーになることについては長い間悩みましたが、やはりある程度自由に動ける方が自分に合っているということが8年かけて再確認できたので、思い切って挑戦してみることにしました。

 

美容師は自分の技術で目の前のお客さんを笑顔にできる最高の仕事だと思っています。

 

今までの形に囚われず、自分と関わった人たちが幸せになれるようにこれからも模索し続けたいと思います。